事例詳細
調査・質問内容
質問番号 | 0000013313 |
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状態 | 受付済 |
質問日 | 2023/03/07 |
唐津藩主・土井氏時代に起こった学派争いについて知りたい。
図書館からの回答
回答状態 | 公開済み |
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公開日 | 2023/04/28 |
関連質問番号 |
次の資料に記載がありました。
(1)『唐津市史』復刻版 [唐津市史編纂委員会/編] 唐津市 1991
p.732-733 唐津では東江や尚斎の教を受けた実学派が勢力を占め、江戸藩邸では稲葉迂斎の門に学ぶ者が多かった。したがって理念を異にするこの両派が、やがて激突する日のくることは、当然ななりゆきであった。迂斎の信任が高まり、藩の政治や刑罰などすべて迂斎の可否を聞いておこなわれるようになってから、唐津方の藩士の不満は鬱勃たるものがあった。
(2)『佐賀県教育史 第4巻』 佐賀県教育史編さん委員会/編 佐賀県教育委員会 1991
p.109 江戸においては、江戸詰めの藩士に対して、崎門の佐藤直方系の稲葉迂斎、古文学派の萩生徂徠系の余態耳、古学堀河学派の伊藤東涯系の原雙柱が講師が招かれ、講義をしている。これが、江戸屋敷内における迂斎派と土井利益が近江から招いた奥清兵衛(東江)及び、彼の弟子の吉武法命の法命派と対立を生むこととなり、吉武法命が野に下り、庄屋層の教化に力を入れるようになると、藩校と民間塾とが対立するようになった。
参考文献
タイトル | 注記 |
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唐津市史 | |
佐賀県教育史 第4巻 |
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