調査・質問内容

質問番号 0000013321
状態 受付済
質問日 2023/04/22

龍造寺政家の妻(正室・継室)が、いつ亡くなったのか、またいつ龍造寺家に嫁いできたのかが知りたい。

【事前に自分で調査した事項】
『佐賀県近世史料 第10編第2巻』 佐賀県立図書館/編 2012
『武雄市史』 武雄市史編纂委員会/編 1972

図書館からの回答

回答状態 公開済み
公開日 2023/06/08
関連質問番号

御質問の件について、次のとおり回答します。
※資料によって年代や日付に違いがあります。

1.「正室がいつ亡くなったのか」については、次の資料に記載がありました。
 (1)『佐賀県近世史料 第1編第9巻』 佐賀県立図書館/編 佐賀県立図書館 2001
  p.685 村田家系図の脚注(3) 有馬越前守義貞女 天正十七年三月十五日卒(三十四才)
      清鏡院殿智円妙性大姉

 (2)『久保田町史 上巻』 久保田町史編さん委員会/編 久保田町企画課 2002
  p.386 『佐賀県近世史料 第1編第9巻』村田家系図と同一内容の記載あり。

 (3)『竜造寺記 1.2.3.4.5 写本』
  p.52丁 天正十七年三月二十五日室女逝ス 法名智円院妙性大姉

 (4)『ふるさと No.41~45』 ふるさと社/編 ふるさと社 1981
  43号
  p.6-18 「烈女・政家の長女於安」
  p.9 ~政家は後藤貴明の娘を後室として現在の久保田町に居て、慶長十二年十月二日五十二歳で
     死亡したので、これが最後の別れとなったのではあるまいか。於安の実母は天正十七年三月二十五日に
     死亡している。
  ※於安…政家と正室の子

2.「継室がいつ亡くなったのか」については、次の資料に記載がありました。
 (1)『佐賀県近世史料 第1編第9巻』 佐賀県立図書館/編 佐賀県立図書館 2001
  p.690 村田家系図の脚注(24) 龍造寺政家継室 慶長十八年七月廿八日卒
      芳春院殿梅室妙林大姉

 (2)『久保田町史 上巻』 久保田町史編さん委員会/編 久保田町企画課 2002
  p.391 『佐賀県近世史料 第1編第9巻』村田家系図と同一内容の記載あり。

3.「正室がいつ龍造寺家に嫁いできたか」については、次の資料に記載がありました。
 (5)『龍造寺氏の系譜』 江口 白翁/著 1988
  上 p.68 天正六年に婚姻が成立したとき政家はもう二十三で~

 (6)『歴史読本 合本H21.4~H21.6月号(838~840)』
  4月号
  p.140-143 「中国・四国・九州 龍造寺氏三代の閨閥」
  p.143 隆信の嫡男政家は、天正五年(1577)、肥前国高来郡の有馬義貞(仙岩)の娘を室に迎えた。

4.「継室がいつ龍造寺家に嫁いできたか」については、当館の調査した資料(古文書等、古地図・絵図等歴史資料を除く)では、確認できませんでした。

参考文献

タイトル 注記
佐賀県近世史料 第1編第9巻
久保田町史 上巻
竜造寺記 1.2.3.4.5
ふるさと No.41~45
龍造寺氏の系譜
歴史読本 合本H21.4~H21.6月号(838~840)

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