調査・質問内容

質問番号 0000013324
状態 受付済
質問日 2023/04/25

「江藤新平君遭難遺址碑」の移転経緯について、園田日吉氏の著書によると、虎ノ門公園内に建てられた碑が戦後所在不明になったような書き方をされているが、一時的に移転があったのか。
また、その後旧虎ノ門公園内・米国大使館別館(旧満鉄ビル・現在の商船三井ビルのある場所)の裏側にあった碑が、現在地の虎ノ門三井ビル北側に移転した経緯が知りたい。

【事前調査事項】
『江藤新平伝』 園田 日吉/著 大光堂 1968
p.102-103 虎の門近くの遭難現場に~略~大正5年(1916年)6月、江藤の遭難記念碑を建てた。~略~終戦当時まで建っていた江藤の虎の門遭難碑の~

『江藤新平と佐賀の乱』 園田 日吉/著 新人物往来社 1974
p.62 ~この遺址碑もいまは現場にない。

『佐賀この地この人』 園田 日吉/著 夕刊新佐賀新聞社 1985
p.223 もうかれこれ二十年程前上京してときであったが、~略~戦後はこの辺一帯の地形も全く一変し、遭難記念碑どころか、虎の門公園全体がなくなってしまった形である。 ※原文ママ

『東京朝日新聞 1916(大正5)年11月13日』 5面
「江藤新平記念碑 昨日の除幕式 同氏遭難の地たる虎の門公園に建設」
芝虎の門公園に建てられた江藤新平氏の碑は十二日午前九時除幕式を挙行した。~

『港区の文化財 第8集(新橋・愛宕山付近)』 東京都港区教育委員会, 東京都港区文化財調査委員会 [編] 東京都港区教育委員会 1972
p.80 江藤新平遭難遺址碑 旧虎の門公園 米国大使館別館裏側 ※写真あり

『建設の機械化(362)』 日本建設機械化協会 1980
p.62 工事名:旧アメリカ大使館別館解体工事
場所:東京都港区虎の門2-1-1
工期:昭和52年7月~10月

『港区の歴史』 俵 元昭/著 東京にふる里をつくる会/編 名著出版 1979
p.210 江藤新平遭難碑があったが、現在工事中で見当たらない

『歴史地理教育(293)』 歴史教育者協議会/編 歴史教育者協議会 1979
p.77 三井ビル前に建っています
p.74 地図あり

※その他、江藤新平関係の資料。
『江藤新平』 大庭 裕介/著 戎光祥出版 2018 p.81 碑の写真のみ
『江藤新平 岡田三郎助』 佐賀青少年育成県民会議 1972 p.23 記念碑の建設記載のみ
『江藤新平の土佐路』 原田 英祐/著 2011
『南白江藤新平実伝』 江藤 冬雄/著 佐賀新聞社 2000
『江藤新平』 毛利 敏彦/著 中央公論社 2000
『朝焼けの三瀬街道』 池松 美澄/著 佐賀新聞社 2019
『鍋島閑叟と江藤新平』 毛利 敏彦/著 明治維新史研究会 2005
『江藤南白 上』 的野 半介/著 マツノ書店 2006
『江藤新平と維新政府』 星原 大輔/著 早稲田大学出版部 2011
『江藤新平』 鹿島 桜巷/著 実業之日本社 1911
『江藤新平』 鈴木 鶴子/著 鈴木鶴子 1987
『江藤新平伝』 星川 栄一/著 新風舎 2003
『南白江藤新平遺稿』 江藤 新平/稿 江藤 新作/著 1900
『江藤新平 佐賀偉人伝 07』 星原 大輔/著 佐賀県立佐賀城本丸歴史館 2012

図書館からの回答

回答状態 公開済み
公開日 2023/06/08
関連質問番号

御質問の件については、次の資料に記載がありました。

(1)『佐賀新聞 1977(昭和52)年10月9日』 12面
 「江藤新平の遭難碑移転へ」
 江藤新平が、明治二年、東京の鍋島藩邸からの帰途襲撃されたことを記念した遭難碑がビル建設で移転する
 ことになり、~(略)~同碑は東京千代田区霞ヶ関の虎ノ門三井ビル南側にあったが同ビル別館建設のため
 北側に移されることになり、~

また、1916(大正5)年の建碑当初予定されていた虎ノ門公園内での位置が、除幕式までの間に変更になった可能性がありますので、参考までに以下の資料をご紹介します。

(2)『佐賀新聞 1916(大正5)年3月6日』 3面
 「江藤新平碑 建設美談 東京虎の門に恩人の碑建立」
 明治七年佐賀の乱で賊名を負い悲惨な最後を遂げた維新の功臣江藤新平の碑が愈々東京虎ノ門公園に
 建つ事となった~(略)~位置は虎の門公園の西北隅~   

(3)東京都公文書館
 「建碑方面変更に関する件(虎ノ門公園地内)(江藤新平記念碑)」1916(大正5)年8月9日

(4)千葉県文書館
 「建碑記念(江藤新平遭難地石碑建立記念冊子 複製)」大正5年11月12日. 1916

終戦後、碑が一時的に別の場所に移転していたのかについては確認できませんでしたが、1947(昭和22)年時点では碑が満鉄ビル(のちの米国大使館別館)裏側に建っていたことが確認できる写真がありましたのでご紹介します。

(5)昭和館デジタルアーカイブ
 「満鉄ビル」 ※満鉄ビル中央よりやや左側付近に碑が見えます。
 撮影年月日:1947年(昭和22年)10月2日
 コレクション(提供者):米国国立公文書館

参考URL

タイトル 注記
東京都公文書館 「建碑方面変更に関する件(虎ノ門公園地内)(江藤新平記念碑)」1916(大正5)年8月9日 【最終アクセス日:2023.5.6】
千葉県文書館 「建碑記念(江藤新平遭難地石碑建立記念冊子 複製)」大正5年11月12日.1916 【最終アクセス日:2023.5.6】
昭和館デジタルアーカイブ 「満鉄ビル」 【最終アクセス日:2023.5.10】

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