調査・質問内容

質問番号 0000013409
状態 受付済
質問日 2024/02/09

佐賀県史料集成 古文書編 第14巻の三岳寺文書の瑞岩慶順撰鍋島種巻碑銘について。
瑞岩慶順とはどのような人物か知りたい。
慶順と三岳寺の関係についても知りたい。
瑞岩慶順撰鍋島種巻碑の現代語訳がないか知りたい。

【事前に自分で調査した事項】
瑞岩慶順撰鍋島種巻碑銘、瑞岩慶順についてネットで調べても出てきません。
おそらく文禄の役に帯同したのではないかと思います。
三岳寺についてネットでは、元天台で現臨済宗の寺で鍋島公と縁があることは分かりました。
それ以上が分かりませんでした。

図書館からの回答

回答状態 公開済み
公開日 2024/07/30
関連質問番号

御質問の件について、次のとおり回答いたします。

1.「瑞巌慶順はどのような人物か」「瑞巌慶順と三岳寺の関係」については、次の資料に記載がありました。
(1)『佐賀県近世史料 第2編第1巻』 佐賀県立図書館/編  佐賀県立図書館 2009
pp.582-583 「直能公御年譜 三(明歴三年)」
一 円通寺順長老病気之由、江戸ヘ為御知有之付、御書(後略)
一 十一月二十五日、円通寺瑞巌慶順和尚遷化 寿七十一歳(後略) ※略歴の記載あり
一 圓通寺住職都合二十九年、其内山岳寺閑室和尚之跡を兼帯有、此僧博識多才、儒仏之書を暗記し、聡明怜悧の智徳を備へたるを以、元茂公御学問の師と御尊崇被成ける也

(2)『佐賀県近世史料 第10編第2巻』 佐賀県立図書館/編  佐賀県立図書館 2012
p.494 「済家宗由緒 三間山円通寺」
一 五十六世瑞巌順大和尚  ※略歴の記載あり
p.508 「済家宗由緒 三間山円通寺末寺 三岳寺」
一 三代瑞岩順長老、寛永元年ヨリ明暦三年迄住職、尤其内本寺三間山圓通寺兼任、

(3)『医王山三岳寺寺歴並に宝物調』 石井 良一/著 〔佐賀〕 1974
p.5 医王寺三岳寺歴世住職 ※(2) とほぼ同一内容
三世 前任建長 後任南禅 瑞岩慶順大和尚
明歴三年([皇紀]二,三一七)丁酉十一月二十五日寂。七十一。寛永元年([皇紀]二,二八四)ヨリ明歴三年([皇紀]二,三一七)住職。円通寺兼住。西室。紫衣。長老ノ官舍前同断。
p.15 一.三岳寺二世、三世ノコト ※(2)とほぼ同一内容
瑞岩大和尚、名ハ慶順之レヲ尊称シテ順長老ト云フ。上佐賀国分村ノ住、浪人丑丸惣兵衛ノ実子ナリ。順長老博識ニシテ文武ノ斈ニ通スルヲ以テ多久領主美作守茂辰公ハ之レニ師事シ文武ノ書ヲ講セシム。

(4)『佐賀県立博物館報 第1~30号(昭和46~51年)』 佐賀県立博物館/編 佐賀県立博物館 1971
第28号 p.9 講演会「肥前の高僧をめぐって」(要旨)
元佶は三岳寺を贈られたが当時元佶は家康の側近として多忙なため、第二世に大和町出身の瑞岩慶順を迎えた。『医王山三岳寺寺歴並ニ宝物調』によれば、瑞岩はかつて元佶が学資に窮したおり托鉢してまで学資を供した元佶にとっては恩人である。瑞岩は南禅寺並びに鎌倉の建長寺で長老の任にもつく高僧で、勝茂の長子鍋島元茂が瑞岩に帰依する。
※佐賀県立博物館・佐賀県立美術館HPで閲覧可能
 https://saga-museum.jp/museum/files/kanpo028.pdf (最終アクセス日:2024.2.11)

(5)『校註葉隠』 栗原 荒野/著 青潮社 1975
p.307 聞書第四-450 (四)順長老
小城町円通寺第五十六世中興開山瑞巌慶順和尚。佐賀郡國分寺(春日村)に生れ、建長寺 南禅寺に在職、紫衣となり、後小城郡三間山圓通寺の住持となつた。博学で儒佛両道のほか軍略兵書にも精通し、小城藩祖鍋島元茂に敬重され、寛永十四年島原乱にも元茂に従ひ、陣中の相談相手となった。又、明歴三年、佐賀藩主鍋島勝茂高傳寺釈加堂建立の時、勝茂の命によつて其の記文を書いた。明歴三年十一月二十五日寂。年七十一。
※『佐賀県立図書館データベース「葉隠-HAGAKURE-」で閲覧可能
 http://www.sagalibdb.jp/hagakure/ (最終アクセス日:2024.2.20)

(6)『葉隠 新校訂全訳注 中』 菅野 覚明/訳・注・校訂ほか 講談社 2018
p.550 「順長老」
円通寺第五十六世住持、瑞巌慶順和尚のこと。円通寺は現小城市小城町にある臨済宗の寺。鍋島勝茂に重用され、『視聴覚知抄』『先考三以記』(上巻「夜陰の閑談」注参照)の作成において総裁を勤めた。(聞書四―51)参照。

(7)『小城町史』 小城町史編集委員会/編 小城町 1974
p.317 2.宗教 (2)寺院
④円通寺…三間山円通寺は、臨済宗の南禅寺に属し、佐賀藩内西部を管轄した。
⑤三岳寺…医王寺三岳寺は、円通寺の末寺にはいる。
※国立国会図書館デジタルコレクション送信サービスで閲覧可能 コマ番号:188 (最終アクセス日 2024.2.11)

(8)『神奈川県史 各論編 3』 神奈川県県民部県史編集室/編集 神奈川県 1980
p.89 「室町時代中期以後の沿革」
建長寺の方は、(中略)肥前国円通寺出身の閑室元佶(三要)も、その末山三岳寺の瑞巌慶順を送り込む(年代的には龍派→瑞岩→最岳→剛室)などして、(後略)
※国立国会図書館デジタルコレクション送信サービスで閲覧可能 コマ番号:75 (最終アクセス日:2024.2.11)

2.「瑞岩慶順撰鍋島種巻碑銘の現代語訳」については当館の調査した資料では、確認できませんでした。
現代語訳は確認できませんでしたが、三岳寺文書の『瑞岩慶順撰鍋島種巻碑銘』と、当館寄託資料の鍋島家文庫『龍造寺氏鍋島氏両太祖御略伝』『歴代略記 両太祖略傳』の中に収録されている『編主吉野庵主太祖小記』は、ほぼ同内容の漢文のようです。他に『江上種巻之伝』もほぼ同内容の漢文のようです。
鍋島家文庫は古文書のためご来館の上ご自身での調査をお願いします。 ※古文書の調査・複写はレファレンスの対象外です。

参考までに『編主吉野庵主太祖小記』について、次の資料に記載がありましたのでご紹介します。
(9)『東アジアの考古と歴史 下』 岡崎敬先生退官記念事業会/編 同朋舎出版 1987
p.689 『龍造寺氏鍋島氏両太祖御畧傳』にある、「龍造寺氏太祖公畧傳」が本になったと思われる。これは龍造寺家兼と鍋島清久についての略伝で「両太祖畧傳総序」に「元禄15年(1702)壬午仲春日金泉山幻住前苔清水菴主粱山秀題」とあり、吉野菴主編となっている。両太祖畧傳に続いて「編主吉野菴主太祖小記」があり、粱山の太祖鍋島新左衛門種巻について記す。

(10)『『葉隱』にみる家臣の『譜代』意識と御家の『家風』』 野口 朋隆/著 (『比較社会文化研究』第19号p.134-144) 2006
p.142 「太祖略伝」は、縦二八・三センチメートル、横二〇・八センチメートル、本文六六丁であり、〈総序〉〈竜造寺氏太祖公略伝〉〈鍋島氏太祖清久公略伝〉〈編主吉野庵主太祖小記〉の四章から成っている。(中略)〈編主吉野庵主太祖小記〉には、粱山の母方の曾祖父となる鍋島新左衛門種巻の一代記を記載していることから、本書が鍋島左太夫家の一族としての立場から叙述されていることがわかる
※九大コレクションで閲覧可能 https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/4494631/019_p137.pdf (最終アクセス日:2024.2.11)

参考文献

タイトル 注記
佐賀県近世史料 第2編第1巻
佐賀県近世史料 第10編第2巻
医王山三岳寺寺歴並に宝物調
佐賀県立博物館報 第1~30号(昭和46~51年)
校註葉隠
葉隠 中
小城町史
神奈川県史 各論編 3
東アジアの考古と歴史 下

参考URL

タイトル 注記
佐賀県立博物館・佐賀県立美術館HP 『佐賀県立博物館報 第28号』 最終アクセス日 2024.2.11
佐賀県立図書館データベース「葉隠-HAGAKURE-」 『校註葉隠』(本文 校註者:栗原荒野) →「10 聞書 第四 田代陣基編 274 ~ 331」 p.307 最終アクセス日 2024.2.20
国立国会図書館デジタルコレクション 『小城町史』 最終アクセス日 2024.2.11
国立国会図書館デジタルコレクション 『神奈川県史 各論編 3』 最終アクセス日 2024.2.11
九大コレクション 『『葉隱』にみる家臣の『譜代』意識と御家の『家風』』 最終アクセス日 2024.2.11

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