調査・質問内容

質問番号 0000013481
状態 受付済
質問日 2024/10/25

武雄市に「鏡池」という池があります。この池はいつできて、なぜこの名前がつけられたのでしょうか。その情報が載っている書籍があれば教えていただきたいです。


【事前に自分で調査した事項】
「水辺遍路」御船山楽園の鏡池(佐賀県武雄)
https://bunbun.hatenablog.com/entry/mifunekagami

図書館からの回答

回答状態 公開済み
公開日 2025/03/06
関連質問番号

御質問の件について、なぜ鏡池と名付けられたのかについては当館の調査した資料(古文書等、古地図・絵図等歴史資料を除く)では確認できませんでした。

鏡池とは明記されていませんが、御船山楽園内の池について記載のある資料がありましたので御紹介します。
(1)『武雄史』 石井 良一/著 武雄・石井義彦 1956年
pp.343-344 「第十二節 武雄の三公園」
(萩の尾公園)~(中略)~弘化二年京都より画師を聘し地を相せしめし別墅を築造した。~(中略)~御船山の絶壁が小池に映ずるところが絶景だと云ふ。

(2)『武雄名勝』 石井 良一/山口 良吾/著 杵島教育会 1926年 
p.118 「5、萩の尾御茶屋」
御船山の西南麓に在る、鍋島男爵家の別庄で安政年中鍋島茂義が創設したものだ。~(中略)~更に池塘を穿ちてその遍に一小亭を構へたる

(3)『探訪日本の庭 1 第2版』 小学館 1989年
pp.141-142 「武雄市と鍋島氏ゆかりの庭」
弘化二年(一八四五)ごろに京都から画師を招いて設計に当たらせたという。小亭を作り、池を掘り、奇岩や怪石を配置したもの

(4)『武雄案内』 武雄商工会/編 武雄商工会 1932年 
pp.31-32 「萩尾公園」
この公園は男爵家の所有にして、水に乏しい武雄の地も、僅かに比處を有するに依つて融和せられたかの感がある。春の櫻、紅白のつゝじは時ならぬ樂園を現出し、秋の紅葉の錦を織り成せる、三船の秀嶺の奇岩を背景にして、庭前の池にうつせる姿こそ、世俗を超越したる天然の美と人工の美の余りに合致せるに驚く。

(5)『御船山の霊場めぐり』 山崎 翠村/編 1924年
pp.13-14 「萩の尾の御茶屋」
舊武雄領主鍋島男爵家の別邸萩の尾のお茶屋である。池を堀り巡らし、其の畔りに小亭を構へ、背後には御船山の奇峯が差懸ゝり、その雄姿の池に映るところなぞは繪畫以上である

参考文献

タイトル 注記
武雄史
武雄名勝
探訪日本の庭 1
武雄案内
御船山の霊場めぐり

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