調査・質問内容

質問番号 0000013483
状態 受付済
質問日 2024/11/08

江戸後期、唐津出身の砲術家で求玄流砲術の創始者、大草庄兵衛政義の没年が知りたいです。
貴館の人名データベースで示されている『唐津市史』(1962年刊)では、没年を天保7年12月としています(773頁)。
しかし、ネット上で探すと、「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」(講談社)では、天保12年12月に63歳で死去したことが見えます。
どちらの没年が正しいのでしょうか。

図書館からの回答

回答状態 公開済み
公開日 2025/03/06
関連質問番号

御質問の「大草庄兵衛政義の没年は、天保7年12月と天保12年12月のどちらが正しいか」については、当館の調査した資料(古文書等、古地図・絵図等歴史資料を除く)では、確認できませんでした。

参考として、大草庄兵衛政義の没年の記述がある資料を御案内します。

〔天保7年12月〕

(1)『東松浦郡史』 久敬社/編 久敬社 1925
p.430-431 大艸庄兵衛政義は~(中略)~天保七年十二月江戸にて歿す。

(2)『好古類纂 二編第四集』 好古社/編 好古社 1900-1909 ※当館所蔵なし
【https://dl.ndl.go.jp/pid/1245045】
p.28(58コマ) 〇大草求玄 天保七丙申年十二月四日江戸牛込の旅寓に歿す、年六十餘、鹽町曹洞宗長善寺笹寺に葬る、法名忠山義勇居士
※墓のイラストあり

(3)『武芸流派大事典』 綿谷 雪/編 山田 忠史/編 新人物往来社 1969
p.187-188 大艸庄兵衛政義(『武芸流祖録』に大草義宗とあるは誤り)。~(中略)~天保七年十二月、牛込神楽坂の旅宿で客死した。六十歳余。四谷の長善寺に葬る。

(4)『新宿区文化財総合調査報告書3』  ※当館所蔵なし
東京都新宿区教育委員会/編 東京都新宿区教育委員会 1977年
p.146(81コマ) 大草求玄墓 造時:天保七年十二月四日(一八三六)
※他に墓の寸法、銘文、備考の記述あり
【https://dl.ndl.go.jp/pid/12721036】


〔天保12年12月〕

(5)『松浦史』 吉村 茂三郎/著 飯田 一郎/編 松浦史刊行会 1956年
p.372 大草求玄 安政八年(一七七九)唐津九里村に生れ、~(中略)~
天保十二年(一八四一)十二月江戸神楽坂の旅宿で歿した。享年六十三

(6)『佐賀県歴史人名事典』 旧肥前史談会/編纂 肥前史談会 1993年
※『先覚者小伝』 (肥前史談会昭和4年~6年刊) の複製
p.86 大草政義 天保十二年十二月江戸牛込の旅寓に於て歿す。享年六十歳餘。

(7)『武術流祖録』 天保14(1843)年刊 ※当館所蔵なし
39コマ 求玄流 大草庄兵衞義宗 天保十二丑年牛込神樂坂旅𠅘ニ没ス
享年六十有餘葬四谷笹寺
【https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100451946/1?ln=ja】

(2)(4)は、国立国会図書館デジタルコレクション(送信サービス)で閲覧可能です。
(7)は、国書データベースで閲覧可能です。
※すべてのサイトへの最終アクセス日は2024年11月11日です。

参考文献

タイトル 注記
東松浦郡史
武芸流派大事典
松浦史
佐賀県歴史人名事典

参考URL

タイトル 注記
国立国会図書館デジタルコレクション 『好古類纂 二編第四集』 最終アクセス日:2024年11月11日
国立国会図書館デジタルコレクション 『新宿区文化財総合調査報告書3』 最終アクセス日:2024年11月11日
国書データベース 『武術流祖録』 最終アクセス日:2024年11月11日

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