調査・質問内容

質問番号 0000013548
状態 受付済
質問日 2025/06/17

各地の出産・月経にまつわる風習を調べています。海岸沿い、もしくは島部に見られる場合が多いです。
佐賀県に妊産婦を隔離する産小屋(もしくは月経中に隔離する月経小屋)の風習はあったか、あればどの地域か、現存しているか、文献資料が残っているかなど調べています。
『日本における産屋の分布とその特徴』板橋春夫*(2020年8月5日受理)の論文中には、
「佐賀県 『日本民俗地図Ⅴ(出産・育児)』に別棟の産屋の報告事例は見当たらなかった。」
とありました。ほかに資料があればうれしいです。

図書館からの回答

回答状態 公開済み
公開日 2025/10/01
関連質問番号

御質問の件については、次の資料を御紹介します。

(1)『佐賀県文化財調査報告書 第56集 佐賀県民俗地図』 佐賀県教育委員会文化課/編 佐賀県教育委員会 1980
 p.48 「35.産の場所」
 お産は「ナンド」「ヘーヤ」とよばれる寝所でなされるとするのが一般的であるが、ここではハツゴ(第一子)の出産に当たって、婚家(嫁ぎ先)か実家かを地図化している。第一子は里に帰り、第二子からは嫁ぎ先とする報告も多い。生み月になるとコヤドモドリなどと称して実家に帰るのである。出産に際し産小屋などの特別な建物を利用するなどの報告はない。
 ※「佐賀県立図書館データベース:佐賀県文化財調査報告書」でPDF公開しています。
 【https://www.sagalibdb.jp/bunkazai/detail?id=57】

(2)『さがの冠婚葬祭』 豊増幸子/著 佐賀新聞社 1981
 pp.40-41「産屋」
 p.40 初産の時は嫁の実家に帰って生み、以後は婚家先でするというのが通例であるが、なかには最初のときから婚家で生むという地方もある。佐賀市嘉瀬町や東脊振村などがその例である。産小屋という特別の場所は、九州の中でも大分や宮崎などにはあったようだが、佐賀の場合は県内どこにも存在しない。ほとんどが普段夫婦の寝室とされている納戸で行われる。

(3)『佐賀県大百科事典』 佐賀新聞社佐賀県大百科事典編集委員会/編 佐賀新聞社 1983
 pp.422-423「出産の風習」
 p.422 初産は嫁の実家で、以後は婚家先で生むのが通例。産小屋は県内どこにもなく、ほとんど夫婦の寝室とされている納戸で産んだ。

(4)『日本の民俗 41 佐賀』 第一法規出版 1972
 pp.180-182「出産」
 p.180 初産のときは実家に帰って産むというところが多い。分娩は多くはナンドのうす暗い部屋で産婆や組内の経験者に助けられてする。

(5)『佐賀県の民俗 上巻』(昭和40年序刊の複製) 佐賀県教育委員会/編 歴史図書社 1974
 「10.佐賀郡富士村大字麻那古」
 p.259 お産は納戸で山ござを敷いた上でした。
 「13.唐津市佐志町浦」
 p.335 出産は必ず納戸で行なわれた。

(6)『佐賀県の民俗 下巻』(昭和40年序刊の複製) 佐賀県教育委員会/編 歴史図書社 1974
 「19.西松浦郡有田町」
 p.122 お産の時は納戸や薄暗い部屋で、21日間は臥床して静養させられた。
 「21.武雄市武雄町川良」
 p.173 お産は納戸でした。
 「22.杵島郡大町町」
 p.208 納戸と呼ばれる暗い部屋でお産をする。初産の場合は実家に帰ってするが、今日もこの風習は残っている。

(7)『三瀬村誌』 三瀬村誌編さん委員会/編 三瀬村公民館 1977
 p.606 分娩は多くはナンドを産部屋として、産婆やチャゴウウチの経験者に助けられて産む。

(8)『上峰村史』 上峰村史編さん委員会/編 上峰村中央公民館 1979
 p.923 出産は婚家里方いずれときまっていないが、産室は寝床(納戸)が充てられる。

(9)『東脊振村史』 東脊振村史編さん委員会/編 東脊振村教育委員会 1982
 p.1041 出産は聟(むこ)の家の納戸で行う。

(10)『脊振山麓の民俗 続 佐賀県神崎群東脊振村昭和45年度調査報告書』 北九州大学民俗研究会/編 北九州大学民俗研究会 1971
 p.76 分娩は全て聟方の「ナンド」と呼ばれる寝室で行なわれ、産小屋の風習は見られない。

(11)『有田の民俗』 有田町民俗調査委員会/編 有田町 1996
 pp.232-233「出産」
 p.232 昔は納戸で出産したといわれる。いずれにしても客などがあまり入らないような部屋で行われた。

(12)『離島生活の研究』 日本民俗学会 編 集英社 1966 ※当館所蔵なし
 国立国会図書館デジタルコレクション 送信サービスで閲覧可【https://dl.ndl.go.jp/pid/9545295】
 「佐賀県鎮西町加唐島」
 コマ番号271(p.526)「産屋」
 以前は初産だけは里でしたが、最近は婚家で産む。妊婦がマヤにいても、産のときはホンヤのカッテに来て産んだ。これは、産の三日間を里から親が泊まりに来るためである。

(13)『日本産育習俗資料集成』 恩賜財団母子愛育会 編 第一法規出版 1975 ※当館所蔵なし
 国立国会図書館デジタルコレクション 送信サービスで閲覧可【https://dl.ndl.go.jp/pid/12166792】
 コマ番号99(p.191)
 「佐賀県」 産室は暗い所で人の行かない部屋がよいと昔からいう。また汚いものがあるから納戸に寝るのだともいう。〔杵島郡北方村〕

 (全URLの最終アクセス日:2025.6.21)

参考文献

タイトル 注記
佐賀県文化財調査報告書 第56集
さがの冠婚葬祭
佐賀県大百科事典
日本の民俗 41
佐賀県の民俗 上巻
佐賀県の民俗 下巻
三瀬村誌
上峰村史
東脊振村史
脊振山麓の民俗 続
有田の民俗

参考URL

タイトル 注記
佐賀県立図書館データベース「佐賀県文化財調査報告書」 『第56集 佐賀県民俗地図』 最終アクセス日:2025.6.21
国立国会図書館デジタルコレクション 『離島生活の研究』 最終アクセス日:2025.6.21
国立国会図書館デジタルコレクション 『日本産育習俗資料集成』 最終アクセス日:2025.6.21

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