調査・質問内容

質問番号 0000013554
状態 受付済
質問日 2025/07/18

佐賀藩の秀島藤之助が、咸臨丸に乗船した際に礼砲へ言及したことについて書かれている資料はないか。


【事前に自分で調査した事項】
『咸臨丸の絆』 宗像 善樹/著 海文堂出版 2019

図書館からの回答

回答状態 公開済み
公開日 2026/03/26
関連質問番号

御質問の件については、次の資料に記載がありました。

御質問の件については、次の資料に記載がありました。

(1)『鍋島直正公伝 第5編』 中野 礼四郎/編 西日本文化協会 1973
p.14 「砲臺より二十二發の祝砲を放ちたりしに、船に弱く航海中は室外に出づるを得ざりし指揮官勝麟太郎は、著陸より指揮をなし、運用方佐々倉桐太郎が答砲をなさんとするを止めて、なまじひの事を爲して仕損ぜんよりは寧ろ打たぬを可とせむといひたりしかば、佐々倉は打てぬ事はあらずとて、勝の笑つて打得なば首を遣らむといへるに、よしと稱し、秀島といふ沈着精密なる友を有したれば共に相談し、砲腔を周密に掃除し、水夫には福谷より注意を授け、沙時計にて順次を整へて打ち畢へたり。かくて佐々倉は皆の人に向ひ『勝の首は吾の物となりたり、船中には用多き故に本人に預け置く。』といひたりしを以て、遂に笑話となりたりき。」

(2)『幕末佐賀藩の対外関係の研究』 鍋島報效会 1994
p.17 「長崎海軍伝習所のベテランである佐賀藩士秀島藤之助にとっても、太平洋横断はこれまでにない大きな挑戦となった。航海の間、「秀島は蒸気方の肥田濱五郎を助け、福谷は機関を取り扱ふに注意を拂へり」と『鍋島直正公伝』に書かれ、次に引用する『公伝』の中の「桑港に著するの翌々日」の事件はよく知られている話であるが、共に福谷のその場における存在の真偽は依然として疑問のままである。(略)」※以降、(1)と同様の内容が記載されています。

参考文献

タイトル 注記
鍋島直正公伝 第5編
幕末佐賀藩の対外関係の研究

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