調査・質問内容

質問番号 0000013568
状態 受付済
質問日 2025/09/22

1 宇治上林三入家が明治初期に佐賀鍋島家に招聘されたときの詳細がわかる史料について知りたい。
2 三星園上林三入本店との違いについて知りたい。(佐賀の『上林文書』と三星園所蔵の史料の違い等)

【事前に自分で調査した事項】
『佐賀県史料集成 古文書編 第22、23、24、30巻』 佐賀県立図書館/編 佐賀県立図書館 1990
『宇治茶と上林一族』 上林 春松/著 上林 秀敏/著 宮帯出版社 2017
『大名と茶師』 宇治市歴史資料館/編集 宇治市歴史資料館 1993

図書館からの回答

回答状態 公開済み
公開日 2026/03/26
関連質問番号

1「宇治上林三入家が明治初期に佐賀鍋島家に招聘されたときの詳細がわかる史料」については、当館の調査した資料では確認できませんでした。

参考として、次の資料を御紹介します。
(1)『町人茶道史』 原田伴彦/著 筑摩書房 1979
pp.162-166 御物茶師と上林三入 
p.163 「佐賀市元町銀座で上林茶店を営む岡本俊一氏(中略)岡本氏は三入家の流れで、三入家が肥前、肥後などと取引をしていた縁故で、先代が明治中ごろに佐賀に下って茶商をはじめたという。」 

(2)『佐賀新聞 1885(明治18)年8月11日』 4面 新茶廣告
「上林製新茶荷着仕候條不相變御用向偏ニ奉希候 上林三入賣捌出張所佐賀白山町 十八年八月 大串啓助」

(3)『佐賀新聞 1888(明治21)年1月4日』 4面 参着廣告 
「各位益々御機嫌能被遊御座奉恐賀候従テ例年ノ通リ〓茶極々念ヲ入レ澤山持下リ白山町出張所エ滞在仕候間不限多少御用向仰付被下度偏ニ奉希候也 尚々本年ハ一月中ナ〓テハ滞在不仕左様御思召可被成候 十二月二十八日 上林三入」 ※〓判読不能

(4)『佐賀新聞 1898(明治31)年9月14日』 4面 支店開設廣告
「畏れ多くも舊藩主鍋島侯には舊幕以來今日迄引續御用の恩命を忝ふし(略)來る十五日より當市水ケ江町字片田江に支店を開設(略)山城國久世郡宇治町 上林三入本店」

(5)『佐賀新聞 1902(明治35)年8月12日』 3面 轉宅廣告
「佐賀市呉服町南側 上林支店 今般片田江より前記へ移轉致一層勉強仕候間倍舊御愛顧を祈る」

2「三星園上林三入本店との違いについて知りたい。(佐賀の『上林文書』と三星園所蔵の史料の違い等)」については、次の資料を御紹介します。

(6)『佐賀県史料集成 古文書編 第22巻』 佐賀県立図書館/編 佐賀県立図書館 1982
解説pp.1-2 「由緒書によると、佐嘉藩初代藩主鍋島勝茂との密接な関係を伝えて居り、以来、藩の御用達茶師として茶を納め、鍋島家から年々扶持米三十五俵余を支給されている。
本巻に収めた上林文書は、この上林三入家に伝来し、現在佐賀市の岡本氏方に所蔵されている文書である。
文書の大半は、上林三入家から納入した茶、或いは贈呈した物品等に対する各大名旗本その他からの請取状や、礼状であり、さらに年々の茶詰方・送致方に就いての依頼状である。」

(7)『上林三入家文書(収蔵文書調査報告書;3)』 宇治市歴史資料館 2000 ※当館所蔵なし
【宇治市役所ホームページ】で閲覧可能
https://www.city.uji.kyoto.jp/soshiki/89/5910.html (最終アクセス日:2025.10.4)
p.4 三入関係文書の特徴 
「三入関係文書といえば、大量の大名からの書状が知られていて、佐賀市の上林茶店(宇治からの出店を出発点とする)にもっともまとまって一五〇〇点余りが遺されている。(中略)三星園上林三入本店(以下、本店)に遺る古文書も、後掲目録の通り約九〇〇点を数えはするものの、先頭にひとまとめにした百点余りの大名およびその周辺からの書状を除くと、明治の初年から前年、第十二代の盛厚の時代に集中している。残念ながら、江戸期の三入家については、右に触れた各当主の概略からおおきく踏み出せる状況にはない。」

p.70 上林三入家文書目録
「■摘要」 
点数:947点 
年代:慶長年間(1596~1615)~昭和11年(1936)
概要:上林三入家に伝来した文書。三星園上林茶舗の経営とともに、大正7年(1918)に同家から田中家に引継がれた。(後略)
 

参考文献

タイトル 注記
町人茶道史
佐賀県史料集成 古文書編 第22巻

参考URL

タイトル 注記
『上林三入家文書(収蔵文書調査報告書;3)』 最終アクセス:2025.10.4

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