調査・質問内容

質問番号 0000013638
状態 受付済
質問日 2026/04/24

日本統治時代に台湾で活躍した林久三氏(1863年佐賀縣生まれ)に関する以下の2点についてご教示いただけないでしょうか。
1.林久三氏の晩年(終戦後・帰国後)に関する記録や文献
2.林久三氏のお写真、または肖像に関する資料


【事前に自分で調査した事項】
林久三氏は、台湾総督府において法院通訳官として長年勤務されるかたわら、台湾語教育にも尽力された方です。また、1912年に著された『臺灣料理之栞』は、台湾の宴席料理を体系的かつ詳細に記録した書物として、現在においても台湾の食文化史上、極めて貴重な文献と評価されております。同書には各料理の台湾語発音が片假名で記されており、当時の言語・文化交流の様子を今日に伝える史料としても高く評価されております。

図書館からの回答

回答状態 公開済み
公開日 2026/07/24
関連質問番号

御質問の件について、次のとおり回答いたします。

1「林久三の晩年」については、次資料に記載がありました。
(1) 『山岳 23(3)』 ※『山岳 第二十三年 第三號』 日本山岳会 1929 ※当館所蔵なし
【国立国会図書館デジタルコレクション(送信サービス)】で閲覧可能
https://dl.ndl.go.jp/pid/6064944
コマ番号47(p.70(373))
先年臺南中央寫眞館主林久三といふもの、還暦の齢を迎へた記念として、新高登山を心がけ、日本一の高峰新高山に登り果さば、死すとも遺憾が無いと公言して、登山の途に就き、この坂に到り、所謂山岳病に悩みながらも、尚屈せず、遂に新高山の頂上を極め、後幾許もなく、大往生を遂げたのである。還暦坂の名は之に基くといふ(後略)

(2) 『台湾の風景』 田村 剛/著 雄山閣 1928 ※当館所蔵なし
【国立国会図書館デジタルコレクション(送信サービス)】で閲覧可能
https://dl.ndl.go.jp/pid/1916257
コマ番号74(pp.104-105)
そのうちに、還暦坂といふのにさしかゝる。これは臺南の寫眞師だと聞いたが、林久三といふ新髙宜傳の熱心家がゐて、六十二歳の高齢で、この坂を征服しようとして、途中で倒れたので、その名が起つたといふ話だつた。 


2.「林久三の写真、肖像」については、当館の調査した資料では確認できませんでした。



※全URLの最終アクセス日:2026.4.28

参考URL

タイトル 注記
国立国会図書館デジタルコレクション 『山岳 第二十三年 第三號』 最終アクセス日:2026.4.28
国立国会図書館デジタルコレクション 『台湾の風景』 最終アクセス日:2026.4.28

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